長野県土地家屋調査士会

文字サイズ

  • 標準

調査士制度発祥の地

土地家屋調査士法は昭和25年7月31日、第8臨時国会で可決成立し、今日に至っている。土地家屋調査士の前身母体は土地調査員会であった。

戦後、(太平洋戦争)税制改革が実施されるまで土地家屋は国税であり、土地台帳、家屋台帳は税務署が管理し、調査 測量、登記に携わる調査員は税務署に従属する形で活動していたが、法的な資格もなく、何の保証もない不安定な状態に置かれていた。全国に先駆けて県内の松 本から法の制定運動が起きたのは、若いころ松本税務署長を務めた植木庚子郎さん(元法務大臣・大蔵大臣)が、地位の向上を求めて起ちあがるよう管内の調査員らに示唆したのがきっかけとなった。

土地家屋調査士法制定運動は戦前から10年にわたり血の滲むような苦労を伴って続けられたが、その発祥の地は松本である。戦前県内の調査員を統括し、昭和16年から3回にわたり松本の赤羽多知雄、中島実氏らを中心に国会への請願、建議が行われたが、戦争の激化で一時中断を余儀なくされた。戦後再び運動が燃え上がり、昭和22年以降は地元代議士であった降旗徳弥先生(元逓信大臣・松本市長)を紹介議員として請願運動を展開したが、法の制定までには大きな距離が横たわった。

昭和24年以降は降旗代議士が中心となって議員立法という形の中でこの法律の制定という日の目を見ることとなったが、これ程までに民意を反映し、事の重要性を察知した政治家の的確な判断による法の制定は極めて特異なものとされている。

この記念碑は平成6年10月3日、土地家屋調査士法制定運動一途に尽くされた諸先輩の歴史的精華を、後世に語り継ぎ、更に未来へ限りなき発展を期するため、制定運動が産声をあげた松本の地に建立されたものである。

土地家屋調査士 記念碑

土地家屋調査士記念碑

松本市美須々5番
松本市総合体育館 南隣
Google Map で見る

 

土地家屋調査士制度 松本宣言

土地家屋調査士制度は、不動産の権利を明確にする不可欠な制度として広く社会に定着している。この重要な制度の創設に献身努力した長野県下の諸先輩の歴史的精華を讃え,その精神を後世に引き継ぐため、全国1万8千4百余名の総意により,ここ長野県松本市に制度発祥の地碑を建立した。これを契機に土地家屋調 査士はこの制度が未来に向け、国民の為になる制度としてさらなる発展を期することに全力を尽くすものである。

1. 土地家屋調査士は,社会に対応して自己改革と研鑽に努め,国民の立場に立って業務を行う。

1. 土地家屋調査士は,現地の安定に資する不動の境界標の設置及び境界標の重要性ならびに所有者管理の原則を広く国民に周知徹底する。

1. 土地家屋調査士は、現地特定機能を持ち,国民の利便に資する地図整備の早期実現に全力を挙げて取り組む。

以上宣言する

平成6年10月3日

全国土地家屋調査士 松本大会

1994年 全国土地家屋調査士 松本大会 式辞

日本列島の東と西,または北から南まで3千キロに及ぶ全国総ての地域から,2千余名の会員がここ長野県松本市に一堂に会し,ご来賓多数のご臨席の下,土地家屋調査士制度発祥の地碑の除幕式並びに史上初の全国大会を盛大に挙行できましたことは,主催者としまして,この上ない 喜びであります。心からお礼と歓迎を申し上げます。

本日ここにお集まりいただいた土地家屋調査士の情熱と参画は,未来に向かって自らが行動を起こし,制度発展に積極的に取り組む意欲と意識改革の現れであり,誠に心強い限りであります。

さて,この半世紀にわたり,不動産登記制度の一翼を担い,国民生活に不可欠な制度として定着しています土地家屋調査士 制度創設の経緯でありますが,今をさかのぼる66年前の昭和3年に,松本税務署長でありました植木庚子郎先生が業務の重要性と資格制度の将来を見据えた示 唆により,ここ松本市の土地調査員,赤羽多知雄先生,中島実先生,並びに岡谷市の土地調査員,林義成先生がリーダーとなって,法制化実現に情熱を燃やし,長野県下の調査員に団結を呼び掛け,更に全国レベルヘと波及していったのであります。この献身的運動の最中,戦禍に見舞われる等,幾多の厳しい歴史的環境 を乗り越え,この運動は戦後へと根強く引き継がれ,国家的見地から,この制度の重要性を共感された衆議院議員,元逓信大臣,降旗徳弥先生が中心となって, 議員立法として昭和25年7月31日永年の悲願が叶って,土地家屋調査士法が創設されたのであります。降旗先生は,初代連合会会長として活躍され,現在の 連合会組織を創造されたのであります。本日は連合会顧問として,元気にこの大会に出席されておりまして,誠に感慨深いものがあります。

そこで,この運動に献身努力された諸先輩の歴史的精華をここに讃え,その精神を後世に受け継ぎ更なる発展を期するた め,全国1万8千4百余名の総意により,ここ松本市に「制度発祥の地碑」を建立しました。おかげさまで本日大勢の参加者が見守る中,先人のタイムカプセルがスリップしたが如く,創設の喜びを今ここに,めでたく除幕式を挙行することができました。

会員の皆様には,このモニュメントをどのようにご覧になっていただきましたか。この碑は三重の層に見える一つの花崗岩からなっております。この碑からそれぞれにイメージを受けられたと思います。

この碑が目に映るイメージは,土地家屋調査士制度が過去・現在・未来の三つの時代が重なり合って永遠に引き継がれ,将来に向かって明るく,勢いよく発展していく様子が心の中に追ってまいります。

また一方では,支部と調査士会,そして連合会の三つの組織体が共に支えあって力を合わせて天高く未来へ向かって力強く伸びていく様子がうかがえ,本日の全国大会そのものを象徴しておりまして感動的であります。

この記念碑の建立に当たりまして,会員はもとより,有賀松本市長さんを始め市民の皆様,全公達,更に地元長野会及び支 部の関係者の皆様の,心からなるご理解とご協力に感謝と謝意を表す次第であります。更にこの素晴らしい芸術的モニュメントを築造していただきました高岡典男先生に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

この制度発祥の地碑建立を契機に我々土地家屋調査士は,激変する社会の流れに的確に対応して,意識改革と自己研錆に努め,この制度が今後永遠に国民のためになる制度として,健全な発展を遂げるよう組織を挙げて取り組み国民の信頼に応えてまいります。

ところで,激変している現在の社会は,我々土地家屋調査士に何を求め何を期待しているのでしょう。

日本は戦後半世紀にわたり,世界に類を見ない高度成長を経験し,現在その急激な成長の反動として長期不況に見舞われ, その不況を脱出するために,構造的変革が迫られております。その具体的な変革の現状は,国際比較を始めとして,社会総てのシステムのあり方,又はものの考 え方を抜本的に見直し,我が国が長く続けてきた従来の物差しでは考えられないような想像を越える変革が行われています。

21世紀の課題も見え始めました。国際化,高齢化,環境対策,産業の空洞化,雇用問題,更に価格破壊,地図整備もその一つであります。今世紀を僅かに残して,克服しなければならない多くの難問題が立ちはだかり,このまま従来どおりの考え方では,希望に満ちた21世紀を迎えられそうにありません。むしろ厳しい困難な21世紀が待ち受けているように思います。その意味から,我々土地家屋調査士としても社会全体の変化とあり方を見極め,21世紀に先駆けて新しい対応を図らなければならない大事な時代に差し掛かっています。

土地家屋調査士は,専門家であると同時に社会人であることにも違いありません。つまり,国民の一人として21世紀を平 和で豊かなよりよい社会を築くために,現在何をしておかなければならないか真剣に究明して,社会との係わりの中で制度のあり方を抜本的に見直し,意欲的に 活動できる未来を構築するために,本日の大集会が挙行されたのであります。

若しも,この触れあいと決意がないまま21世紀へ突入したとしたら,最も大切な自己改革が行われず,土地家屋調査士の飛躍を遅らせたに違いありません。

本日の全国大会は,参加したという意義はもとより,全国2千余の会員と行動を共にしたことが重要であることを既に気付かれたと確信します。

意識改革は,出合いと感動によって実現します。本日の出合いは,それぞれ一人ひとりの会員にとって将来を決する歴史的一日になることは間違いありません。その意味から,この松本大会の盛況は感動的であり,運命的なものであります。

我が国の不動産登記制度は,明治20年「登記法」施行以来,幾多の社会変化に対応して改革が行われてきました。そして,現在では先端技術を導入して,ハイテクを駆使した登記事務のコンピュータ化が着々と進行しており,21世紀初頭には全国ネットワークのシステムが構築され,優れた機能を発揮し,国民生活のサービス向上に大きく寄与することになります。

ところで,日本の登記制度は,歴史的要因により権利に関する登記については,世界に冠たる制度として発展を遂げましたが,登記されている土地を現地において客観的に認識できる境界標の設置と,その管理は十分と言えず,更に現地において境界の位置を特定する機能を備えた相対的基本地図の整備が遅れており,その遅れを取り戻すことが大きい課題であります。

登記制度の原点は,あくまで現況を調査・測量して明確にした上で,登記簿に反映し,現地と登記簿を一致させることであ ります。現地の安定なくして登記制度の健全な発達はあり得ないのであります。現在全国レベルで取り組んでいる「境界標設置全国キャンペーン」の目的もそこにあります。

つまり,不動産登記制度の基幹となる不動の境界標を積極的に現地へ設置し,設置した境界標を、所有者が自己管理することの原則をアピールするとともに,境界標の重要な役割を国民レベルで理解し,大切にしていくことの周知徹底を図る、この地道な運動の推進は,50年100 年先の効果を見据えた遠大な計画であり,本年にとどまらず,制度が存続する限り永遠に与えられた使命と位置付け,土地家屋調査士の21世紀の結論と言い切って間違いありません。

また,境界標の相対的基本地図,俗にいう法第17条地図が整備された暁には,不動産登記制度の基本地図として完璧を期することは言うに及ばず,その他に公共事業,土地利用,社会基盤施設の管理図等への応用,更には,日本経済への地図情報のデーターベースとして,その活用 の波及効果は,計り知れないものがあります。この地図整備は,土地家屋調査士業務の基幹であり,多面的角度から主体性をもって取り組む必要があります。

このような社会的職責を背負っている土地家屋調査士でありますが,その重要且つ膨大な事業の取り組みは,会員それぞれの事務所と公嘱協会の事業拡大に託されており,ひいては全国1万8千4百余名の会員の行動力と,業務に立ち向かう意欲が鍵を握っております。

最後に臨み,本日のこの大会にご多忙の中ご遠方より参加いただきましたご来賓,並びに会員の皆様にもう一度衷心よりお 礼を申し上げるとともに,本日,遠くの仲間と巡り合い,土地家屋調査士の心は一つであることを確認した松本大会の意義をいつまでも胸に,今後新しい時代へ飛躍するため,ますますご健勝でご活躍されますことを祈念致しまして式辞といたします。

平成6年10月3日

日本土地家屋調査士会連合会  会長 三 浦 福 好

このページのトップへ