長野県土地家屋調査士会

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第Ⅷ系測量原点

写真で拡大すると矢印の先に点のようなⅧ系原点標識盤、右下には、南牧村が建立した原点説明の石碑が見えます。

2011年8月8日 「Ⅷ系原点」原点復活?

2011/8/8

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3月の地震に伴う地殻変動により原点標識も移動してしまいました。

以下、言い訳・・・

ご存じのとおり地球は生き物で地震はなくてもマントルの対流により地核は移動しています。
2009年8月8日の設置の際は電子基準点を利用したGPS観測により原点位置を出しました。
当時、電子基準点は1996年設置当時の成果値を公表していましたが実際はその後の地殻変動によりその絶対的な位置は変化していました。

昨年セミダイナミック補正を採り入れた測量方法が導入されたのもこの様な背景があります。
事実、Ⅷ系原点におけるセミダイナミック補正の量も地震前まで十数㎝ありましたので、地球上のあらゆる地点の位置は常に変化していると考えられます。
私たちが公共測量で扱う座標値、少なくとも基本三角点等の基準点座標値は日々変化させる訳にもいきませんので地球の動きと折り合いを付けながら求められる測量の精度内に収まるように処理しているのが現状です。

地震による原点標識の真の移動量を求めるにはどうすればよいのでしょう?

1.設置時の絶対位置を計算
与点とした電子基準点の成果を2009年のセミダイナミック補正パラメータにより変換し、2009年6月のGPS観測の結果で新点位置(偏心点及び方位標)を計算し、TS観測により得られた角度・距離から原点として設置した標識の絶対位置を計算する。

2.与点とした電子基準点の成果(地震後改訂された数値)を2011年のセミダイナミック補正パラメータにより変換し、本年7月16日に行ったGPS観測の結果で新点位置(偏心点及び方位標)を計算し、TS観測により得られた角度・距離から原点として設置した標識の現在の絶対位置を計算する。

「1.」と「2.」の成果を比較すれば、地震前後の標識の移動量は求められると考えられます。
しかし、地震後の改訂後の成果ならばセミダイナミック補正量は0で良いと思われるのですが、この付近で数㎝の補正量を与えていますこれは電子基準点の成果を改訂しなかった西日本地域と整合性をとるためと言うのが理由のようです。
宮城県あたりでは、1㎝以下ミリ以下の補正量の場所もありますので、改定の無かった岐阜県に隣接する長野県としては補正量が多いのも理解できます。とすれば、「2.」の計算においてセミダイナミック補正を掛けないで計算した方が絶対位置の算出としては正解なのかとも迷ってしまいます。
ともあれ、地球物理学地殻変動の研究者ではない私たちにはあまり関係のないことです。

公共測量作業規程準則という法に基づいて測量をしている私たちが、一般の方に標識が移動してしまったことの説明をする資料としては、現在公開されている地震後の電子基準点の成果を使用しセミダイナミック補正(SemiDyna2011.par)を行った計算で偏心点及び方位標の位置を観測し、移動した原点標識をTSで観測し、その成果と原点設置の際の成果表の数値X=Y=0、標高1237.423mと比較するのが良いのではないかとの結論になりました。
以上、前置きとして本題に入ります

第1編<現在の原点位置確定まで>

あの式典からはや2年が経過した8月8日午前8時、原点復活のために集まった土地家屋調査士は8人。「やっぱり8か、でももう少し来そうなものだね」と言っているところにもう一人「ちょうど8時8分になっちゃった」と現れたのは、現場に一番近くからの参加者。
電波時計を見るとちょうど8秒、そうまでしなくてもとは思いますが今でも8に縁があります。

地元の南牧村の皆さんにも、さらに一般の方にも広く地震の影響や地殻変動について知ってもらいたいとの思いから今回は事前にプレスリリースをさせていただき、長野朝日放送のテレビクルー、NHKのテレビ記者、信濃毎日新聞の記者さん他(受付順)が取材に来て頂けることになり、ちょっと緊張の作業となりました。既に、収録は開始されています。

原点付近の偏心点、300m先の方位標は7月16日にスタティック法によるGPS観測済で成果を得ています。今日は、TS測量で原点位置を復元し新しい標識を設置します。何と、方位標に設置する予定の三脚に載せるターゲットプリズムを忘れてしまい急遽取り寄せて貰うことになりました。とりあえず、後視にはピンポールで進めます。

6月26日にRTK法GPS観測で概略の位置を測量し砲金を貼り付けた時のTS測量の成果と、7月16日のスタティック測量の成果、さらに原点の周りに設置してある黒御影石の標識板の拓本(当然1/1スケール)を基に、どこが現在の原点位置かは計算済です。
でも、現地で実際に測ってみないとどうなるかは不安でした。

まず、両面テープで仮止めのはずの砲金の取り外しに一苦労。延長ケーブルまで用意してドライヤーで砲金を暖め金属の膨張を利用して外れやすくするという作戦は大当たり、ちょっと力は要りましたが石を傷めることもなく取り外し完了。ようやく、TSで復元してみました。
結果は2~3ミリのずれでひと安心、石の上にマーキングしてこれで予定どおり新標識の設置は出来そうです。

第2編に続く・・・
報告者 土地家屋調査士 三原 雅

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第Ⅷ系原点 移動観測 やぐら補修報告

2011/6/26

 東日本大震災とその翌朝の栄村を中心とした長野県北部地震は私たちにも大きな影響を与えています。
そんな中、2年前に設置したⅧ系原点も移動してしまったようです。

国土地理院でも日本経緯度原点を測量したようですので、Ⅷ系原点も移動量の観測をしてみましょうとのことで集まった人数は8人、集合時間は朝8時、相変わらずです。

昨年9月に建立したやぐらのペンキ塗り直しと風で落下した名札の取り付け、ついでに移動量もざっと測ってみましょうか? とのことでしたが、観測は原点付近の偏心点(松の木から少し離れた場所に新設)と方位標の2級点の2箇所をRTK測量で行い、偏心点からTSにて、移動してしまった原点標識を観測し移動量を確認すると共に、今の原点位置に、真鍮の砲金をとりあえず両面テープで固定しました。
いざとなると、ミリ以下で設置の要求をするなど、測量好きの集まりは変わりません。

東方へ258ミリ、南方へ8ミリ、上方へ70ミリほど(RTKですが)の移動でした。
(ここも何故か8が多くでてきます)

原点位置は、標識盤(御影石)の上には何とかとどまっていました。

結果的に、近隣の電子基準点〈川上〉 の移動量と水平位置・高低の移動量がほぼ合っていてRTKも捨てがたいと思いました。
(〈川上〉の移動量は地震前と地震後の公表座標値の比較によります)

やはり、Ⅷ系原点の標識と座標値はX=Y=0mで、成果簿も0でないと・・・ との意見もありますので、どうするのが良いか?
新旧両方の位置も表示出来た方が、一般的にも分かり易いしと色々案を考えています。

報告者 土地家屋調査士 三原 雅

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「世界測地系第Ⅷ系原点標識」設置記念式典

平成21年8月8日午前8時8分、8発の花火の号砲と共に長野県南牧村八ヶ岳山麓野辺山に「世界測地系第Ⅷ系原点標識」設置記念式典が沢山のお客様をお迎えし盛大に執り行われました。

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